55歳、性的マイノリティ当事者の私が、LGBTQをとりまく今と昔をふりかえってみた
突然ですが、私はLGBTQ当事者(以後、性的マイノリティ当事者)であることをカミングアウトしています。ランスタッドで勤務している、SF母さんと申します。この度は、ランスタッドnote編集部から、自身のことを書いてもらえないかとリクエストをいただき、自身のこと、また性的マイノリティ当事者を取り巻く社会について感じていることを綴ります。
また、今回は自分自身のことを”LGBTQ当事者”ではなく、”性的マイノリティ当事者”という書き方をしていきます。
LGBTQというのは、「Lesbian(レズビアン)」、「Gay(ゲイ)」、「Bisexual(バイセクシュアル)」、「Transgender(トランスジェンダー)」、「Queer(クィア)」など、それぞれ別の性的マイノリティ当事者のコミュニティ同士の頭文字をくっつけた枠組みです。
それぞれに状況が異なる中で、すべての性的マイノリティ当事者を”LGBTQ当事者”として含めて、その”当事者”として自分が話すことにすこし違和感を感じるため、今回は”性的マイノリティ当事者”とお伝えしていければと思っています。
私は1969年生まれなので、この記事を読んでくださる方と年齢差があるかもしれません。でも今回は、LGBTQや多様性という言葉が一般化するよりも前、1980年代~1990年代を過ごした性的マイノリティ当事者としての経験も振り返りながら私のことを話していきます。
また、世間ではLGBTQと一括りにされがちですが、実情は様々、感じ方もそれぞれです。はじめに断っておきますが、私はそれらを代表するわけではなく、あくまでいち当事者としてのお話ができればと思いながらこの文章を書きました。
私としてはただ一つ、私が経験したようなつらく悲しい思いを、これからの若い人たちが味わうことのない未来をつくっていきたいという願いがあり、今回のnote執筆のリクエストをお受けすることにしました。
長くなってしまいましたが、ぜひ読んでくださると嬉しいです。
これまでの私のキャリア
まず性的マイノリティ当事者としての私の話に入っていく前に、そもそも私がランスタッドに入るまでのことや、今どんな仕事をしているのかもお話ししたほうがイメージがしやすいかなと思い、自身の経歴をお伝えします。
大学卒業後、新卒としてハウスメーカーに入社し、その後は転職して、アパレルメーカーに勤めました。そのあと、次のキャリアを考えようとアパレルメーカーを退職した際に、派遣登録をしていたランスタッド(当時はフジスタッフという会社でした)の支店長に「ランスタッドで働いてみませんか?」とお声がけをいただいたご縁で、入社して今に至ります。
入社後は、大阪支店にて人材コーディネーターとして、求職者の方にお仕事を紹介する仕事をメインで担当していて、現在は1日単位の単発派遣を専門としている部署にて、ランスタッドへの登録に関する事務などを担当しています。
また、現在や今後のプライベートのこともすこしお伝えすると、友人と同じ屋根の下ではなくとも、共同体のように、ともに支え合って生きていく老後が送れたらいいなとぼんやりと思っています。年齢のこともあって、最近は友人ともそんな話をすることが増えました。
そして現在、私にはお互いに親子だという共通認識でつながっている、息子のような存在がいます。ちなみに、彼はマイノリティではありません。普段は遠く離れて暮らしていますが、これからも何かあるときには力になっていきたいと思っています。
また、私自身もそういう存在がいることで、しあわせな気持ちになれるなと感じています。
これは誰しもにあることだとは思いますが、私も日々を過ごす中で、性的マイノリティであるということ以外にも悩みごとやつらさを感じることもあります。そんな時に、彼が元気でしあわせに生きてくれていることを考えると、自分の悩みなんて、結構どうでもよくなるような、悩みが吹き飛ぶような感じがしています。
ランスタッドで働く、性的マイノリティ当事者としての私のこと
ランスタッドは、今まで私が所属してきたさまざまな組織と比較して、男性・女性といった性別や性別による役割分担などに囚われない、ジェンダーフリーに近い感覚のある組織です。
例えば、ランスタッドでは2018年5月にドレスコードが廃止されました。
それ以前は、男性はスーツ、女性はスーツもしくはオフィスカジュアルなどの決まりがあり、どうしても、自分のマイノリティ性を感じざるを得なかったのですが、ドレスコードが廃止されたおかげで、私にとっては職場がとても居心地のよい環境になりました。
ランスタッドのような、ジェンダーフリーに近い感覚のある組織に所属していると、いい意味で、性的マイノリティ当事者としての自分をカミングアウトする必要性を強く感じることはありませんでした。
でもやはり、このような組織の中にいても残念に感じることはあって、それらにも組織として向き合ってほしいという思いもあります。また、私が本当に生きづらいと感じていた1980年代~1990年代の社会からの変化を実感したいという思いも持っていました。
そんな中で、社内のダイバーシティ&インクルージョン(D&I)を推進するために、「性的マイノリティ当事者と、その理解者(アライ)が集まる社内コミュニティ(LGBTQ Allies ERG)」が立ち上がるということを耳にしました。
私自身、ランスタッドのジェンダーフリーに近い感覚を好ましく思ったり、だからこそ惜しいと思ったりしているうちの一人だったので、そのコミュニティへ参加し、参加している社員に自分のことをカミングアウトをしたという経緯があります。
また現在は、このカミングアウトがきっかけで、性的マイノリティ当事者だけが入れる社内コミュニティ(LGBTQ ERG)を立ち上げることになり、当事者コミュニティのリーダーとしても活動しています。
当事者のみのコミュニティは、当事者のためのコミュニティです。
当事者同士が安心して自分を偽ることのなくいられる居場所や時間、社内に当事者がいることを身近に感じられる場として機能すれば十分と感じていて、限られたメンバー同士でランチセッションを行っています。
そして、会社としても東京レインボープライドというアジア最大級のLGBTQ関連イベントに出展しています。ランスタッドのメンバーが、社内外の当事者の方々と関わっている様子をみると、私も嬉しい気持ちになります。
引き続き、私ができることにも取り組みながら、ランスタッドとしてもLGBTQにフレンドリーな企業を増やす活動をしていけるといいなと思っています。
私のマイノリティ性と人を好きになることについて
ここまで、私のお話しを読んでくださりありがとうございます。ここから先は、私の性的マイノリティとしてのよりパーソナルなことをお伝えしていければと思います。
実は、私は幼少期から自分の性別を感じとれずに生きてきました。これが私の性的マイノリティ当事者としての側面です。なので、この場でも自分の性別や属性を言明することは控えたいと思います。ご容赦ください。
ただ例えば長年生きている中で、カミングアウトの有無にかかわらず、同性愛者か異性愛者かという話題はたくさん訊ねられてきました。
先ほどもお伝えした通り、私は自分自身の性別を感じとれません。ただ一方で、私が恋愛対象として好きになる人の性別は、特定の性別と決まっています。
そして、私の身体的特徴と恋愛対象として好きになる人の性別を表面的に照らし合わせていくのであれば、この世間一般でいうところの同性愛者という括りになります。
自分の性別がわからない以上、どちらが同性で異性なのかは判断ができないのが本心ではありますが、こういった性的マイノリティさを持つ私は、「好きな人に思いを伝える」ことは一切できませんでした。
人は人を好きになったら、その人に思いを伝える。さらに恋愛と結婚が強く結びついた以降の社会においては、お互いの思いが一致したら交際して、やがてその好きな人と結婚して、家庭を築く、子どもを授かって育てていく・・・。
この流れが正しいという風潮は少しずつ薄まってきてはいるものの、”性的マイノリティ当事者としての自分の人を好きになる感覚”が、社会全体に受け入れられていると感じ、人に自分の気持ちを伝えられるようになるまでには至りませんでした。
それはこれまで私が生きている中で、異性同士以外で思いを伝えあうことや恋愛をすることが、周囲から祝福され受け入れられていると感じた経験がなかったことが大きな理由だと思います。
私の感覚ではありますが、誰かを好きになっても、その思いを伝えたら相手に避けられるだろう、周囲に変だと思われ、笑いものにされるだけで終わってしまうだろうと思います。この感覚は、ほとんどトラウマに近い、本能的な恐怖感をともないます。
こういった思いもあり、いわゆる青春やしあわせやらは、私にとってはどこか遠くの存在で、それらを自分のものとして感じたことはほとんどありません。
30年前、性的マイノリティを自覚するということは、社会の一員として生きていけないということだった
どうしてこれだけ強く、トラウマや恐怖感を持っているのだろうと疑問に思う方もいるかもしれません。
それは、私の学生時代や新社会人として過ごしていた時期が、今から30~40年前だったことも理由に挙げられると思います。
1980年代~1990年代の当時は、性的マイノリティやLGBTQという言葉はもちろん、多様性という言葉もない時代でした。
私としては、今も社会には男性と女性がいて、おたがいに異性を愛することが一般的な認識として社会に共有されていると感じますが、当時は、その考え方がより強固で当たり前でした。
ジェンダーを示す用語でいうと、シスジェンダー(出生時の性別と本人の性自認が同じ)でヘテロセクシャル(自分と異なる性を持つ人を愛する)の人しか、この社会にはいない、他の性的マイノリティは存在しないという感覚が強い時代です。
もちろん社会の認識から外れる人も存在していましたが、当時の社会は、マイノリティに対して今よりもはるかに冷酷でした。
今でこそLGBTQは人権問題だと認知されていますが、当時はメディアでも日常生活においても、私からすれば悪意があると感じてしまう言葉が溢れていて、この頃に私はこの社会の一員ではないのだと強く感じることになりました。そして、この体験は今も私の中に深く残っています。
マジョリティだと偽って生活をすることは、相手とのパイプが詰まったようなしんどさがある
30年以上前、私は性的マイノリティ当事者だということをカミングアウトしましたが、おなじ立場の性的マイノリティ当事者たちからも、奇人変人のようにいわれたこともありました。
それは恐らく、「カミングアウトしたところで理解されないかもしれない」、「普段生活している中でも社会から外されている自分を感じているのに、カミングアウトすることでもっと傷つくことが起こるかもしれない」という思いからであり、その気持ちもわかります。
それでもなぜ、自ら当事者だとカミングアウトするのかといえば、ずばり「しんどいから」でした。そのしんどさは、「もう隠していられない、つらい」という感覚でも、「なぜ隠さなければいけないのか」という怒りに近い感覚でもありました。
私は当事者が自身をマジョリティだと偽って生活することを、「相手とのパイプが詰まったような状態」という風に感じています。
小さな嘘をひとつつくことによって、また嘘を重ねていく。それが続いていくと、本当の自分とは違ったもうひとりの架空の人物を演じていく感覚になります。よほど器用な人なら可能かもしれませんが、私はそのようなことはしたくありませんでした。
相手とのパイプは、なるべく根詰まりのない状態にしたかったという気持ちです。
私の最初のカミングアウトは、1990年代のはじめ。私が大学を卒業して新卒で入社した会社でのことでした。当時は私の知る限り、当事者たちは全員自分を隠して、時には偽って生きていた時代です。
カミングアウトに対し、最初は周囲の全員が”驚き”の反応でした。その後は、特に何も変わらない人、すこし心の距離感が縮まったと思えた人、すこし遠くから珍獣を見るかのようだなと受け取ってしまうような態度で接する人や、でたらめな噂話を拡げた人もいました。
それでも私は、カミングアウトしたことを後悔していません。なぜなら、私がずっと感じていた大きなパイプの詰まりは解消されたと感じたからです。もちろん、言ってよかったと感じたことも、反対に言わなきゃよかったと感じたことも両方沢山ありますが、どんな状況になることも覚悟の上でのことだったので、後悔はありません。
性的マイノリティとして、マジョリティの世界を生きるということについて
ここまで色々な私自身のことをお伝えしてきましたが、性的マイノリティとして生きていると、”一般的に普通”だと思われていることが普通だと思えないということが多々あります。
・働いている中で感じること
これはもう10年以上前の話なので、今の世の中は少しずつ変化してよくなっていると思いますが、私の心に痛みとして残っている話をします。
当時、私は性的マイノリティ当事者だと公表せずにランスタッドに勤めていました。それは、先にもお話しした通りで、ジェンダーフリーに近い雰囲気のランスタッドにおいて、性的マイノリティ当事者としての自分をカミングアウトする必要性を強く感じなかったからでした。
そんな私が働いていた支店に、ある日、派遣社員の登録面談をするために、男性2名が連れだってお越しになられたのです。
その方々が性的マイノリティ当事者だったのかどうかはわかりませんが、その時に、一緒に働いていた同僚がバックヤードで、片手を口元にもっていく仕草(いわゆる”オネエポーズ”)をしてみせたり、からかったような発言をしている様子を聞きました。
現在のランスタッドではあり得ないと思うからこそ、今こうして話していますが、当時は、すごく悲しく、残念な気持ちになったことを覚えています。この先、こういったことが社内はもちろんですが、社会全体としてなくなっていくことを望んでいます。
・飲み会の場で感じること
基本的には、さまざまな飲み会の場で「男性は女性のことを好き」という共通のシナリオをもとに話が進行します。これは多くの場面でよくあることだともわかっています。ただ、そのような話題を振られて同意を求められたりすることで、私はしんどい気持ちになりました。
でも、このようなことも一歩ずつですが少なくなっているのではないかと思います。
・ファッションや身体的特徴で感じること
過去、私も身体的特徴とは反対の性別のファッションをして過ごしていたことがあります。ただ、そうすると”一般的な普通”とは異なる恰好をしていることになり、やはり違和感を持たれてしまうという経験もしています。
見た目の身体的特徴が人に与える印象は大きいため、例えば「パッと見たときに男性(女性)の体格なのに女性(男性)のファッションをしている」という場合は、ただ自分らしさを表現したいだけであっても、周囲にとっては違和感を持たれてしまうようなことがあります。
こういったことも、今は少しずつなくなってきていると感じています。
お互いにとまどうことはあるかもしれないけれど、”普通”に接してほしい
これまで性的マイノリティ当事者として色々なことをお伝えしてしまいましたが、私としては、性的マイノリティという側面はあるにしろ、どんな方とも普通に接して、普通の関係を築いていきたいと思っています。
ただ、私が性的マイノリティであるとカミングアウトされた相手側は、「正直、どう接したらいいのかわからない」「この発言をしたら、傷つけてしまうのではないか」と、とまどうこともあると思います。
そのとまどう気持ちもわかりますし、私自身も「どう接したらいいのか」と逆にとまどうこともありました。
でも、性的マイノリティかそうでないかに関わらず、そうやってお互いにお互いのことを打ち明けたり、時には傷つけてしまうこともありながらも理解し合えるように対話をしていくことが、人間関係を築くことにつながると思っています。
だからこそ、もし今この記事を読まれている方の中に、周囲の方から性的マイノリティとしての側面をカミングアウトされてとまどうような経験があったら、ぜひ、普通に接してみてほしいです。
「傷つけてしまうかも」「この話題はいやなのかも」と、気遣っていただくこともありがたいのですが、話したいことや聞いてみたいことがあれば、ぜひ率直に聞いていただけると嬉しいです。どんな話題であれ、私のことをきちんと理解しようとしてくださった上での問いかけであれば、私もきちんと応えたいと思っています。
私個人のことでいえば、これまでも自分のカミングアウトによって、関係性が深まったり、絶縁されたり、改善されたりといろいろな経験をしてきました。傷つくこともありましたが、今は、傷つくことを恐れていても仕方ないのだと思っています。
性的マイノリティとして今ここに自分が生きていて、それが取り除くことができない自分の一部である以上、自分と向き合い続けて、また同じように他者にも向き合っていきたいです。
文章を締めるにあたって
冒頭の話に戻りますが、私は性的マイノリティ当事者であることをカミングアウトしています。そして、そのような姿勢は時として、周囲から「ポジティブな人だ」という評価をいただくことがあります。
しかし私は現在を「ポジティブ」だとは捉えていません。今まで生きてきた中で、自分のことを周囲に理解してもらえないばかりか、叩かれ、笑われているような感覚が長く長く続き、つらく悲しい思いをした先で、流れ着いたところが今という感覚です。
だからこそ、これからの若い人たちがこんな感覚を持たないで生きていける未来をつくっていきたいと強く思っています。
私は、これからの社会が多くの人にとって優しいものになるようにと平凡な願いをもっています。
現段階で「こんなことをやっていきたい」という具体的なものを挙げるのは難しいですが、まずは社内のコミュニティ活動を通して、なにかをかたちにしていければと思っていますし、LGBTQの運動が一時のブームに終わらないようにと願っています。
<書き手:SF母さん>
【お知らせ】東京レインボープライド 2024にランスタッドも出展します!