ベトナムのマンホールに落ちて、夢を見つけた話
2015年夏。
大学1年生の夏休み。
私はそこで夢を見つけた。
今回は私の原体験にさかのぼり、人材業界で働く理由を綴りたいと思う。
その年の春。
高校時代の先輩に、学生団体の新入生歓迎会に誘われた。
渋谷のピザ屋さん。そこで大学生にこう聞かれた。
「君はなぜ大学を卒業するの?」
これから大学に入学する人に何を聞いているんだ、と当時は思ったが、今思えば「何のために大学に行き、何を得るの」という、「私」という人生への問いだったように感じる。うまく答えられなかったことが悔しくて、私はその答えを見つける旅に出た。
3か月後。
私はベトナムにいた。初めての東南アジア。
慣れない土地での生活は勇気のいることだったけど、それよりも心地の悪さを感じ続けるくらいならましだった。
自分で選んだ環境だったけど、大学の同期たちは天才を通り越した「奇才」と呼ばれる人ばかり。
学生起業家、プログラマー、プロアスリート、アーティスト。
すでにそれぞれが明確な答えを持っているようにみえて、誰かと比較しては、ひとりで焦っていた。
漠然と、教育という分野と、東南アジアへの興味があったことがきっかけで、ベトナムという街で、私に何ができるのか挑戦してみたい。そんな思いで渡航した。
一言で言えばカオス。そんな街に私は恋をした。
海外インターンシップでは、小さな街の学校で英語教員として、学校の寮に住み込みで2か月間働いた。私のほかにもドイツ・マレーシア・スウェーデンから参加しているインターン生がいて、仲間たちと中学・高校の生徒たち約200名と向き合った。
手元にあったのは黒板とチョークと古ぼけた英語の教科書。インターンシップが始まると、たくさんの試練に遭遇することとなった。
かわいい生徒たちも授業が始まるとまったく落ち着かず、どうしたらよいものかとよくみんなで頭を抱えた。英語を教えるためにベトナムに来ていたから、正直本意ではなかったけど、生徒の気を引くために、日本のアニメのキャラクターたちを何度も黒板に描いた。状況を変えるためにできることがあるならなんでも全力でやった。
一緒に授業を担当するはずの先生が突然クラスに来なくなった。いわゆるボイコットだった。訳を聞いてみると、どうやら英語を流ちょうに話すインターン生を前に、「自分の英語力で授業をすることが怖い。」と教員たちの自信を喪失させてしまっていたらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいで、泣きながら教員たちと何度も対話を重ねた。新しいアイデアを提案したときも反対があったけど、結果として理解を得ることができた。
インターン生との衝突も絶えるはずはなかった。生まれた国も、育ってきた文化も、考え方もまるで違う。それでもいつも同じ方向を向いていて、誰かに何かがあると、必ず全員で駆けつけて解決のために知恵を分け合った。
バックボーンのまるで違うインターン生のみんなが、それでも一緒にまとまって進んでいけたことには理由がある。それは、お互いがお互いの譲れないこだわりやプライドを持ったうえで、そのことを相互理解して、リスペクトしあえる関係が築けていたことだ。このことは私に、自分自身や周囲の人たちのどんな意見もないがしろにせず、きちんと向き合う主体性を持ち続けることの大切さを教えてくれた。
インターンシップの外でも毎日刺激的だった。その分、鍛えられたように感じる。
現地の人に美味しいからと勧められ、スープを飲んだら食中毒になった。そのあとすぐに治ると病院で処方された薬が日本製のスポーツ飲料だったときも、もう終わった・・・と思った。でもそのおかげで本当にすぐに治った。
自分の尺度、極端な結末だけで人や物事を判断しないようにしようと反省した。でも怪しいなと思ったら潔く断る勇気も持とうと思った。(スープ自体はとてもおいしかった。)
東南アジアのスコールは、一瞬で街を変える。ある日学校外のスーパーにインターン生たちと買い出しに行った帰り、突然スコールが降ってきた。足元まで浸水状態。用水路の四角い蓋でぐらつきがあるところを踏んでしまい、友人とともにそこに落ちた。全身ずぶぬれだったけど、足は底についていて二人とも幸い無傷で済んだ。
カオスな環境に身を置くと、想像していないことに遭遇する。その分人として大きく成長できる。マンホールに落ちたときはさすがにまずいと思ったけど、今生きているすべての瞬間を大切に、何か少しでも価値を残そう、という強い気持ちが芽生えた。
インターンシップの後半。
英語の授業のカリキュラムを編み出し、英会話を生徒たちが学べるように英語クラブを作ることができた。どれもインターン生からの提案だったが、教員たちが全面的に協力をしてくれた。
今はもうわからないけど、私が学部を卒業するまでの間は、当時作った内容をその後のインターン生たちが引き継ぎ、授業をしてくれていたと聞いている。
逆に私が行くまではクラス崩壊気味で、先に来ていたインターン生も、「ここに来ると子供が嫌いになる。」と言っていたほどだから、もしかしたら少しは役に立っていたのかなと思う。
でも、まだ明確な答えはみえていなかった。
ただ、周りを見ては焦ってばかりいたその気持ちを少しは落ち着かせることができた。
そして、忘れられない、ガム売りの人との出会い。
この出会いが、今の私を作ってくれている。
インターンシップの終盤、帰国を1週間後に控えたある日。
その日は休日で、ベトナムの各地でインターンシップに参加している仲間たちと一堂に会して、街で食事をしていた。
すると、急に私の足を触ってきた人がいた。
そこにはボロボロの洋服を着て、首からガムを入れた箱をぶら下げた人が座っていて、「ガムはいかが?」と聞いてきた。
ベトナムではよく見た光景なのだが、街には屋外の屋台が立ち並んでいて、そこで食事をすると席に近づいてきて、小さな子どもや障害のある方がガムを売ったり、お花やお土産を売りに来たりする。
ガム売りの人を目の前に、戸惑っていた私。
それを横目に友人がすごく自然体で「仕事は楽しい?順調?」と聞くと、
「ぼくは足が不自由だから歩くことはできないけど、この仕事で観光客と話して、誰よりもたくさんの世界をみれるんだよ。だから楽しいよ。」とまっすぐで優しい目で答えていた。
この会話は私にとって衝撃的で、今でも鮮明に覚えている。
誰もがその人にしかない、素晴らしい可能性を持って生きている。
それなのに、自分の勝手な思い込みにとらわれて、「支援する側」と「支援される側」という側面で相手のことを捉えてしまっていた。
いつも「社会に対して何かを成し遂げなければ」と気持ちだけが先走っていたけど、今までたくさんの人のやさしさに守られて生きてこられたのは、私の方だったと気が付いた。
そんな大切なことをようやく理解できて、
「私って、なんてちっぽけなんだろう。。」と涙が止まらなくなった。
それと同時に、
みんなからもらった恩を必ず返したい。
という強い気持ちが新たに芽生えた。
大切な感情を記録しようとペンを手に取り、インターンシップでの出来事とそこから学んだすべてのことを振り返り、こんなことが心に浮かんだ。
きらきらとした表情で英語を学んでくれた子供たち。
子供扱いせずに、真正面から向き合ってくれた教員たち。
何があっても私のことを支えてくれたインターン生たち。
いつも真心こめて、おいしいフォーを作ってくれたお店の人。
人として大切なことを教えてくれたガム売りの人。
ほかにもインターンシップで出会ったたくさんの人たち。
その人たちが笑顔でいてほしい。その人たちの力になりたい。
しごとを通じて、みんなが「自分」を生きる社会を作りたい。
そんな思いを胸に日本へ帰国し、将来は人材業界で働きたいという夢がみつかったのだった。
今までどんよりしていた気持ちがなんだかすっきりして、
晴れやかで前向きな気持ちになったのをよく覚えている。
帰国後は、より多くの学生たちに同じような経験をしてほしいという思いで、学生団体の活動により一層のめりこんだ。国内の企業のご協力を得て、海外インターンシップの運営をしたり、メンバーのために合宿を企画したり、再びホーチミンに訪れて現地の支部との交流を図ったりした。
大学では、恩師たちのおかげで、複数のテーマで研究をさせてもらった。
ベトナムの歴史、海外インターンシップとキャリアの研究、福祉について。どれも、この時の経験で得た課題意識に基づき、それぞれ異なるテーマを探究できたことは、何よりも貴重な財産となった。
ベトナムにはそれからも何度か訪れたけど、観光客と話せて嬉しいよ。と言っていたあの人と会うことはもうなかった。数年前に最後にホーチミンに行った時に、近くのスムージー屋さんに聞いたら、別の場所で元気にしてると教えてくれた。
ベトナムにいたあの時間はそのまま私の心にある。
大切なコンパスになっている。
あのときの私よりも少しは成長できたかな。
頂いた恩を、少しでも還元できているかな。
これからも何かに迷うときは原点に戻って、また歩み始めたいと思う。
ライター:外資系OLミランダ
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