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社会人になって一番よかったのは、お金がちゃんと入ることだと今も肝に銘じている

わたしは病気をしたりしたこともあって、「お金」にはずいぶん苦労する人生を送ってきました。でも、だからこそ、働いてお金をいただくことのありがたさや尊さを忘れず、頑張ることができているとも感じています。

この国では、人前で自分の経済状況や経済感覚を語るのは下世話と思われがちですが、今日は敢えてそんな「社会人になること」と「お金をもらうこと」についてお話ししたいと思います。


独立を決めた父から、9才のわたしが学んだこと

突然ですが、わたしの父は会社経営者でした。わたしが9才の時、妹と二人して父の前に座らされ、こう宣言されました。

お父さんは独立をする。独立して自分で会社を作る。それはこれまでと同じようにお金が入ってこないということだ。だからお前たちにも協力をしてほしい」

どくりつ?って何?という顔をしていたわたし達に父は続けました。

「例えば、これまで値段を見ないで買っていたものも、値段をちゃんと見て、100円と90円の品物があったら、90円の方を選んで買ってもらいたい、ということだ」

つまり、うちは貧乏になってしまうということ?
おそらくそんなことを聞いたと思います。父は「そうではない。ただ、定期的に同じ額が入らなくなるということだ」というような話をしました。

そんな話しますかねぇ? 9歳の娘に。と、思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、起業に向けて邁進していた父は大真面目でした。それに、子どもというのは柔軟なもので、説明されれば案外立派な感覚を身に着けていくものです。

いつだったか、どこかの国では、子どもたちに「ミッションを遂行するため投資の交渉をする」という課題を出して、経済について学ばせる、というネット記事を見たことがあります。子どもたちはそうやって、お金とそれに見合う価値、という経済感覚を養っていくそうですが、わたし達もそうでした。

お金は湧いてくるものではないし、いつもあるとは限らない

父の宣言以来、わたし達姉妹は「お金は湧いてくるものではない」と実感したり、「その価値について考える」習慣などができたり、「お金はいつもあるとは限らない」ことを念頭においた経済感覚を身に着けていくことになるのでした。

ついでに言うと、「お金のけじめ」についても父は厳しくわたし達をしつけました。
父の会社に遊びに行っていた時、妹が一本のペンを手に取って言いました。

「これ欲しい、持って帰ってもいい?」

父は首を縦には降らず、たしなめるように言いました。

「それは会社のお金で買ったものだから、持って帰ってはいけないんだ」
「あとで同じものを、お父さんのお金で買ってあげるから、それはおいていきなさい」

まだ幼かった妹は「どうして?ここはお父さんの会社でしょう??」と言いましたが、父は頑としてそれを許すことはしませんでした。

たかがペン一本です。それでも父は「公私のけじめ」をわたしたちに説き、公私混同は悪いことだと教えこみました。そういう人でした。

その日食べるもののために小銭を稼ぐような時期を経て

そんなわけで、わたし達に立派な経済教育を施した父ですが、会社を設立して10年目の夏、なんと突然他界してしまいます。前の週まで出張に行っていたくらいだったのでまさに「急逝」でした。

残されたわたし達は途方にくれました。父の生命保険金がわずかな手違いのため、全く入ってこなかったのです。
当時わたしは大学の2年生で、ちょうど二十歳になったばかり。成人して親の承認が要ることはなくなりましたが、定期収入もありませんでした。

会社を大きくすることに注力していた父に、個人的な財産はほとんどなく、わたし達はまさにその日食べるもののために、小銭を稼ぐようなアルバイトをせざるを得ませんでした。
しかも大学の学費も必要です。大学に通いながらそれを調達するのは至難の業でした。

頑張って仕事をすると、ちゃんとお金で報われる

だから、最初に社会人になった時、とてもつらくて泣いてばかりでしたが、毎日会社に行って、頑張って仕事をしていればちゃんとお金で報われるということが、本当にありがたかったのを今でも鮮明に覚えています。

泣きながらもくらいついていけたのは、このありがたさのためだったと言っても過言ではありませんでした。何しろ、「お金はいつでもあるとは限らない」という経済感覚の中で、実際に「ない」大変さを存分に経験した後でしたから、それはそれは格別だったのです。

それからも、定期収入がありながらいろいろなお金の苦労をしたりしましたが、それはまぁ、たいして面白い話でもない(男のひとにうっかり渡してしまったとか、そんな話です 笑)ので割愛します。
ただ、わたしにとって「働いてお金を得る」ことは、「社会人として認めてもらえている証拠」であり、当たり前のことでは決してない、というのはずっと変わりがありませんでした。経済的に自立していることは、わたしの誇りの一つだったのです。

働いて収入を得ているという誇り

わたしはお仕事をして収入を得ることは、誇りに思っていいことだと、いつも感じています。もちろんその多寡に関わらず、定期的かそうでないかも関係なく、雇用形態も問わず、です。
働いて、金銭を得られたということは、働きにお金を出すだけの価値があったからに他なりません。働けずにいた時期が長く続いたことも、その思いを強くすることにつながりました。

社会人になってよかったことは、もちろんお金をもらう以外にもたくさんありました。それらは、仕事を通じて自分が成長できたり、たくさんの経験が自分の心を豊かにしてくれたりと、枚挙にいとまがありません。
でもだからこそ、それらをお金をいただきながらできたことが、わたしにとっては尊いことでした。
今もわたしは肝に銘じているのです。お金で報いてもらえることはありがたいことだと。決して、当たり前のことではないのだと。

ランスタッドに入ってから、健康だけではなく、経済状態も安定してきたわたしは、一昨年の夏、父のお墓をようやく用意することができました。
ずっと気になっていたのですが、何しろ自分のことで精いっぱいだったので、ずいぶん遅くなってしまいました。
納骨が終わった瞬間は、肩の荷が下りた気分でした。これも働いてお金をちゃんといただけたからこそ、というのをわたしは忘れたくないと思っています。
そんなしつけをした父も、今のわたしを見て、草葉の陰できっと、笑っていることでしょう。

<ライター:りぽち>

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