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あなたの声が聞こえるから、今日も前に進めたわたし

2年間の引きこもりから、ランスタッドに入社できたわたしですが、もう一つ、これだけは話しておきたいことがあります。今も忘れられない、大切な故人のことです。

いま、「故人」と書いて、改めてそうか、と思うくらい、亡くなったNちゃんはいつも私のそばにいてくれる気がしています。
今日はそんな彼女の話と人の縁の話をしたいと思います。

それはわたしがまだ人材業界にさえ入っていない、ずいぶん昔の話です。
Nちゃんはわたしの部署の直属の後輩として、当時わたしが勤めていた会社に新卒で入社してきました。目がくりくりしていて、お人形さんのよう、という形容がぴったりの、新卒らしいまっさらな20歳でした。

そんな彼女の教育係を一から任された時、本当にわたしでよいのか?と本気で悩みました。Nちゃんは「会社」で「働く」こと自体が初めてなのです。

よく「刷り込み」という言葉で表現されますが、最初に見る、触れるものは、会社でも仕事でもその人にとって重要な意味を持ちます。良きにつけ、悪しきにつけ、最初に教わったことは「身について」しまうものだからです。
人材会社に入ってから、改めてその事実を目の当たりにしたわたしは、キャリアをスタートさせた会社のことを「キャリアの実家」と呼ぶようになりました。Nちゃんにとってその時のわたしは、まさにキャリアの実家におけるお母さんのようなものでした。

それゆえの責任を感じながら、彼女に仕事を教えていったわけですが、決してわたしはよい教育係ではなかったと、今にして思います。責任を考えることでの戸惑いや、思い込みもたくさんあったからです。
それでも彼女は、まっさらなうえにもまっさらなアタマと人間性で、わたしの教えることをさらさらと吸収していきました。その素直さや潔さが反対にわたしの勇気になったこともしばしばです。気が付けば、彼女はサクッと独り立ちしていました。

わたしはなんだかまぶしいような、とても頼もしいような気持で、机に向かってメモを取るときの目元や帳票を束ねる真剣な後ろ姿に見入ったりしたものです。わたしが家族のような同僚として、彼女を大切に思うようになるのに、それほど時間はかかりませんでした。

うれしいことに、Nちゃんにとっても、それは同じだったようです。なんだかわたしたちはいつも一緒にいました。あんまりいつも一緒なので、彼女が他の部署に一人で行くと、決まって「なんだ、今日お姉ちゃんは休みか?」と聞かれたそうです。席に戻ってから嬉しそうにそう報告する彼女の笑顔は今も簡単に思い出すことができます。

ほどなく彼女はわたしを本当の自分の家族に会わせたい、としきりに言うようになっていました。なんとなく、遠慮してかわしていたわたしにある日Nちゃんは言いました。
「今度の日曜日、空いていますか?空いてる?じゃあ、その日にしましょう」
あまりきっぱりというので、わたしもいやとは言えず、初夏の気持ちのいい日にNちゃんのご家族が待つ家へと出かけていったのでした。

そこでの一日は今も夢のような気持ちで思い出します。
お父さんもお母さんもステキな方たちで、わたしは心からその場にいることを楽しむことができました。あまりに楽しくて、とうとうお父さんが寝る時間になっても帰ることができなかったほどです。そこで遠慮されていたら、申し訳なく思ったでしょうが、お父さんはご機嫌なまま、「おやすみ!」といって、寝室に引き上げていき、残ったお母さんが笑いながら「ごめんなさいね~、お父さん、お客さんいても関係なく時間になると寝ちゃうから」というのを聞いて、なおさらNちゃんの家族が好きになりました。

そんな時間を過ごした場所に、わたしが再び訪れた時、Nちゃんはもうあちら側へと旅立ったあとでした。享年21。あの、楽しかった日からたった2ヶ月後のことでした。

最初の異変は会社の健康診断でした。
「肝機能の数字が悪いらしいんです。病院行ってきていいですか?」
わたしは「もちろん」と言って、送り出しました。

再検査の結果、やはり肝機能の低下が疑われたNちゃんは大学病院を受診するためにまた休みを取ることになりましたが、その時でさえ、まさか今生でのお別れが近いなどとは思ってもいませんでした。けれど、即時入院となった彼女に代わってお父さんがくれる連絡は、日を追うごとに深刻になっていきました。
「もしもの時の、会社への連絡はどうしたらいい?」
お父さんがこういったとき、入院して、まだ10日も経っていませんでした。それから、彼女が亡くなるまでの数日間は、今思い出しても体中がずきずき痛むような気がします。
でも、それはNちゃんとの第二章が始まったことでもありました。

冒頭でも書いたとおり、その後のわたしはいつも近くにNちゃんを感じています。彼女と出会った会社を辞めて、人材業界に転職しようとした時も、彼女にずいぶん問いかけたものでした。
お父さん、お母さんとも付き合いが続いていきました。わたしが病気になる少し前、彼女のご両親は九州に転居され、その地で彼女を埋葬したのですが、わたしはそこにも数回足を運んでいます。

病気になって、引きこもるようになってから、たくさんの人がわたしから離れていきましたが、九州との縁だけは切れませんでした。

わたしは毎年命日になると必ず花を送っていました。引きこもりでも花を送ることができる現代の環境は、わたしにはありがたいことでした。何もする気が起きなかったのに、「その日」だけは変わらず、わたしにとって特別な日だったのです。

たぶん、わたしにはずっと聞こえていたのだと思います。

「ここで終わるりぽちさんじゃないよね?」

Nちゃんがニコニコしながら、私に向かってそう話す声が。
わたしが立ち直れたのは、本当にたくさんの支援者に恵まれたからに他なりません。けれど、最後の最後に背中を押してくれているのは、いつもこの声のような気がしています。

残念なことに、Nちゃんのお母さんは、おととし、Nちゃんと同じ場所に旅立ってしまいました。今は、時々お父さんと電話で話をします。お父さんの第一声は必ず、「どう?元気ね?」です。

社会復帰してからのわたしは「元気、元気、すごく元気」と返事をして近況を報告します。わたしは早くに父を亡くしているので、「お父さん」と半ば本気で呼んでいます。
そのお父さんが先日ぽつりといいました。

「元気になって、Nも喜んどるよ」

元気になった今のわたしには様々な目標ができました。キャリアコンサルタントの資格を取ることや、もっともっと今のポジションで活躍すること、という仕事の目標だけではなく、九州にもう一度お墓参りに行く、というのも大事な目標です。無理かな、と思うことは許されません。

だって、Nちゃんは、今日もわたしにいうのです。
「ここで終わるりぽちさんじゃないよね?」

ライター:りぽち

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