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25年のチャレンジとWell-beingの先~あなたは今Well-beingな状態ですか?

Well-beingの話をすると、何それ?と立て続けて何度か耳にした。
そんな人達もWellnessについては知っているという。
Well-beingってまだまだ知名度が低いのか??

Wellness ⇒「体と心の健康について幸福を重視する概念」
Well-being ⇒「肉体的、精神的、社会的に幸福の面で満たされた状態」

1948年 WHO(世界保健機関)が設立時に憲章内で「健康」ついて定義している。
「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」(日本WHO協会訳) 

近年はこれをWell-beingと定義づけしていることが多いようだ。

私は、このWell-beingという言葉に20年ほど前に出会い、取り組んできた。
一昨年は、世界Well-beingフォーラムのイベントにもオンライン参加した。今年もとある主催のWell-beingセミナーにオンライン参加をした。
なぜ? 私はなぜそんなにWell-beingと言っているのか?20年ほど前に何があったのか?? 
今、20-25年前を振り返っても、自身の大きな転換期でもあった。


始まりは、もっともっと昔に遡る・・

幼少より喘息やアレルギー(アトピー)があった。
水泳で喘息は治ったものの、10代半ばからはストレスからかアレルギー(アトピー)酷かった。
今でこそ花粉症という言葉も周知されているが、そんな言葉すら聞かなかった時から、花粉だけではなく教室のホコリ、チョークの粉、日光にも弱く、身体は過敏に反応した。
今は信じられないくらい、想像もしたくもない痒さが私を悩ませた。

社会人になって、建築設計・インテリアデザインというクリエイティブな仕事についた。
アレルギー(アトピー)体質は大人になるにつれてマシにはなっていたものの引き続いた。
業界柄なのか、当時はサービス残業や休日出勤が当たり前のような環境だった。

会社に行って遅くまで働いて、寝るために帰宅し、そして朝に出勤する。夕食も遅い時間で栄養なんて考えることもなく不規則だった。
労働環境が悪いだけではなく、おそらく、当時の風潮もあったし、自身が作り出していたのだと思う。

つまり、自分にはクライアントがいるので、人生で一番高価といって過言ではない買い物である“家”を完成するまでの責務と、「最高の良いものを創りたい!」という自身の職人気質からつい頑張ってしまうからだ。

お給料をもらっても、使うところがなかった。
不規則な食事や生活に悶々とした。
いつしか、「何のために働いているのだろう?」と考えるようになった。

もともと中学生時代から海外で仕事をしたいという思いが強かったことや、職業柄ヨーロッパ建築やデザインが好きということもあり、次第に海外を舞台に活躍したいと思うようになった。

海外生活するにしても、まずは“英語”と考え、留学をしようと思い始めた。
となると・・・・海外生活のためにも、アレルギー(アトピー)を改善しないと!
ステロイドの怖さも知っていたこともあり、体質改善のため、生活と食事の改善に取り掛かったのだ。

週末には有名な病院がある京都の高尾山に、1週間分の漢方薬を買いに行った。
リュックに漢方詰め山を下り、さながら薬売りのようだった(笑)
毎日漢方薬を煎じて飲み、朝晩の運動、半身浴で汗をかき、時間管理で規則正しい生活、食事を見直した。

最初は小さいことからやっていたが、アレルギーに悪いというものを徹底的に排除、どんどんエスカレートした。白砂糖は排除、小麦、塩、醤油にいたるまでこだわった。
すると、みるみるよくなったのだ。(ダイエットしても落ちなかった体重もストンと落ちた。思わぬ副産物だ)
こんな体質改善の生活は1年ほど続いた。

こんな体質改善の間は、留学への情報集めや準備にもなった。
実は根が小心なこともあり、覚悟を決めて実行できるまでに時間も必要だったからだ。


これで海外生活ができる!イギリスへ行こう!

当時はパソコンもインターネットも出始めで、誰もが持っているものではない時代。
留学のための休職制度という風潮も企業にはなかったし、イギリスにはワーキングホリデービザもなく、ポンドは240-270円ほどを推移していた頃だ。
留学資金を出してくれるような家庭でもなかったし、自身で学費を貯めて建築学校を卒業したので社会人になって貯めたお金を崩すしかなかった。

桜の咲く頃に飛び立った。

兵庫県の桜並木


一念発起したイギリスでの生活が始まった。

留学をするまで私の生活は、何時に何をして、同時進行でこれとあれをしてと、いつも合理化を考え毎日忙しない生活だった。
後になって考えると、仕事を頑張ってきた「燃え尽き症候群」もあったのだと思う。

そんなテンポの速い生活から一転・・・スローライフが始まった。
ロンドンから列車で2時間ほどの海辺の街。
気候がイギリスの中では比較的よいこともあり、リタイアメントした富裕層が住む街とされていた。どこもかしこも緑豊かで豪邸が立ち並ぶ。 
近くの公園は青い芝生や色とりどりの花が綺麗で、時々リスが「こんにちは」をするし、ゴルフ場も広がっていて優雅だ。

最初の3か月はホストファミリーの家でお世話になった。
私の他に各国からの留学生4人がお部屋を借りる、テラスと庭のある大きなお宅だった。
共働きのご夫妻で、8時に出社し3時や4時くらいには帰宅。テラスでアフタヌーンティーをした後、ホストマザーはお菓子作り、ホストファザーはガーデニングを始める。

イギリスのスーパーでは、洗わなくても良い綺麗で新鮮な野菜や、冷凍食品、ソース、缶詰の種類が豊富だ。それらを買ってきたら、サッサと簡単に調理ができる。
さらに、たいていのお宅にはディッシュウォッシャーがある。
共働きが多いので台所仕事にはあまり時間をかけないのだ。

お世話になったホストマザーは、お菓子作りが趣味だったため、料理は“チン(tinned)料理=缶詰料理”だが、日替わりで、それはそれは美味しいデザートを作ってくれた。ホストマザーのキャロットケーキとレモンケーキは、私を中毒にするほど、今でもとても恋しい。
食事をした後は、そのデザートを食べながらTVを見て、9時-10時には寝る準備にはいる。

こよなく愛するキャロットケーキ

留学生の1人は香港からのバイオリニストで、時々週末には250万のバイオリンの音がテラスに響きわたった。
語学学校で勉強した後は、4時くらいにはクラスメート達と海に行ったり、公園に行ったり、夜はパブに集まったり。
ゆったりとした時間が流れた。
(イタリアで泥棒にあったため留学時代の写真がなく、ここで紹介できないのは本当に残念だ)

日本で分単位にバタバタと動き回っていた私にとっては、最初はなかなか馴染めないスローライフだった。

「郷に入っては郷に従え」とばかりに、人は徐々に慣れていくものだ。

それまで、自分ルールで合理的に動いていたが、周囲のペースに合わせることに自然と慣れていった。
他とのさまざまな“違い”を柔軟に受け入れることも出来るようになったのは、こんなイギリス留学の経験もあったからだろうと思う。


大好きなワンコたち


海外生活で言えば・・・

私は他にイタリアとスウェーデンにも1ヵ月単位ほどで何度か短期ステイを経験している。
ヨーロッパはほとんどの国を旅したし、アメリカやカナダ、オーストラリア、ネパールやマレーシアなどのAPACの国も旅をした。

イタリアでは、よく知られている話のとおり、電車は時間どおりには来ないし、労働者のストライキも多い。
友人達と会う約束をしても30分遅れるのは普通だし、特に誰もイライラするわけでもない。
料理に時間をかけ、美味しい食卓を皆でワイワイお喋りをしながら時間をかける。

スウェーデンでは、6月-8月は短い夏を楽しむ季節。
会社勤めの若者たちは、平日でもランチには公園に集まりピクニック(彼らはピクニックと思っていないのかもしれない)。
お子さんを持つご家族は3時くらいには仕事が終わり、家族そろって近くの森や山へピクニックやBBQ。
学校では小学生1年生までは教室で勉強を教えず、裏の森で皆そろって遊んで、自然の中で学んでいくのだそうだ。また、お昼すぎにはピクニック遠足に出掛け、子供たちのお母さんも、お父さんも仕事を早く終えて合流する。

ネパールには、2週間一人旅をした。
何の話をしていたのかはっきり覚えていないが、現地ガイドと、ガンジス川で死体を焼いて流している光景を一緒に見ながら・・・
彼は「お金を貯めてもあの世には持って行けないよ」と言った。

またある日、出会ったイスラエル人は「兵役が終わって旅をしている。爆弾で仲間が死んでいく姿も見てきた」「人生は一度きりだ。楽しまなきゃ。」と言った。
内戦や隣国での戦争が身近にある人の言葉は、胸に突きささった。

もちろん私が見てきたのはごく一部だし、実際の生活は旅とは異なるだろうし、皆が皆ではないだろうと思う。
けれど、間違いなく、日本の働き方や家族や友人との時間の過ごし方が、少し異なるように思う。


ネパールのジャングルにて

イギリス留学から帰って・・・
建築設計の仕事から離れてキャリアチェンジをした。
日本内資、外資、大手大企業、中小企業、外郭団体でも仕事をしてきて、日本人と外国人両方の経営者や会社役員の傍で仕事をしてきたし、外国人の同僚とも働いてきた。

誤解を招くことを恐れず言うが、
外国人の経営者や役員ほど、時間の使い方や効率化を大事にしているようで、忙しい人ほど、プライベートを大事にし、ワークライフバランスが取れているように思える。
自身の健康や家族を大事にし、規則正しい生活、食事に対する意識が高いのだ。
さらに言うと、笑顔を絶やさないことを心がけ、相手への心遣いを意識している。

こんな諸外国や、外国の経営者たちの影響から、私の仕事への考え方も変わったのだと思う。
自身が生活や食事を変えて、アレルギー(アトピー)体質が劇的に改善したことで、その延長で、マクロビに薬膳や栄養学を学び、アロマ(芳香療法)を学んだ。
また、身体の健康だけではなく、精神的な健康に興味も出て、心理カウンセリングとコーチングを学んだ。

結果、ますますQOL(クオリティオブライフ)が重要だと、考えるようになった。
そして、QOLのためには、ワークライフバランスだし、社会的にも豊かさが大事だと考えるようになった。

=Well-beingの状態でいたい。と。

Well-being経営

Well-beingは企業側や経営者側からは、「生産性が落ちるのではないか?」と思われがちだが、最近、ようやく日本でも人的資本経営とか 「Well-being経営」「Well-beingマネジメント」と言われだした。

Well-beingは、決して、仕事をないがしろにするゆとりを正当化する言葉でもないし、“豊かさ”はお金持ちになればいいってものでもない。

一人ひとりがWell-beingな状態であることで、仕事のパフォーマンスが上がり、仲間や家族との関係性もよくなるもの。
日々にやりがいを感じ、また明日がんばろう!と仕事にも私生活にも取り組める。と私は信じている。

Well-beingとは?

人生100年時代のうち四半世紀の25年、私は仕事と自身の健康に向き合った。
20年前にWell-beingという言葉を知り、すでに自身の生活にWell-beingが根付いている。

心身を整えるために、朝晩の軽い運動を25年間続け、20年前からは、毎朝プロテイン入りグリーンスムージーを作って飲む。
ヨガやメディテーション、音楽、脳神経・視床下部に効果的なアロマオイルも常に身近な生活。
整理整頓や掃除に栄養、と挙げだしたらキリがない。

だからと言って、自身のやっていることがWell-beingを象徴することではない気がする。
なぜなら、Well-beingのために“何か特別なこと”をするということではないと思うから。


実は、ここ最近は、「Well-beingアーティスト」として、人にWell-beingをお伝えする機会も増えた。
週末にセラピーアートの活動や、アロマサロンなどでセラピーアートを教える活動もするようになった。
そんな参加者の皆さんが口々に言う。

「仕事や日々の色んな事から離れて、自分のために、こんな時間を持つのは久ぶり!」
「こんなに集中できて、めちゃくちゃ楽しかった!癒された!」と、晴れやかに笑顔で言うのだ。

私にとっては、こんな時間を一緒に過ごし、喜んでもらえることも、自身の喜びになり、今の自分のWell-beingの一つだと思える。
周りから”幸せな時間”を頂いている。

ただ健康であるだけではなく、人との交流も私にはWell-beingなのだ。

前の自己紹介記事で、「出会いはミステリー」という内容で記事を投稿した。

これまで出会うことが出来た人達のおかげで、自身が実体験で感じて、学んで来きたこと。
その一つ一つが、今の、「自分だけのWell-being」に繋がっているのだと思う。

Well-beingとは何か特別なことではない。

健康のために運動をするとか、食事に気をつけるとか、特別に無理にして頑張る必要はない。
何かを「やっている」とか「やっていない」とか、「ある」とか「ない」とかでもなく・・・

「身近にある自身のちょうど良い心地よさ。自分の小さい幸せにも目を向けること」なのかもしれない。

あなたは今Well-beingな状態ですか?


大阪駅の菜の花たち

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ライター:外資EA・かぐや姫子

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